研究室での心温まる話
予餞会が終わってようやく落ち着いたかなぁと思ってたけど、これからは忘年会の予定が入りまくってて、今度はそっちの方で忙しくなりそうです。
実家にも早くかえらなきゃいけないし、もっと計画的な男にならなきゃいけないなぁと思います。
最近このブログもes関連の事ばっかり書いて、当初の計画とは違った方向に向かいつつある気がしてきました。
元々はただの日記を書いて後から読んだときに、自分はこの頃こんな事をしていたんだ、こんな事を考えていたんだ・・・と思い返せるように書き始めたように思います。
それが最近では僅かに訪れる閲覧者に一喜一憂して、ホントに単なる商品紹介ブログみたいになってきてしまっていました。
てな訳で、今日からまた「日常」関連の話題を増やしていこうかなぁと思います。
今日は研究室で先輩から聞いた感動秘話をひとつ。
今年うちの研究室は院進学者も多いせいか、院生・学部生共に研究室に来る人が多いんです。
みんな一生懸命研究をしているかというと決してそうとは言えないけれど、すすんで大学に出てくるのは家で閉じこもってるよりは健康的です。
しかし、うちの研究室が毎年そんな雰囲気かと言うと決してそうではなく、昔はどちらかと言うとリベラルな雰囲気だったそうです。(今も十分リベラルですが)
学部生で研究する人はほとんどおらず、学部で卒業する人達なんかは、ほとんど研究室に顔を出さないという状況でした。
一昨年(先輩が学部生だった時)は特にその傾向が酷く、学部生の半分が留年者だったせいもあって、ほんの一部の人だけが先生から押し付けられた仕事をこなし、後は全く音沙汰なしだったそうです。
それでも、みんな卒業はしたい。
特に留年していた人達はもう1年学校に留まるわけにはいかない。
てな訳で誰しもが卒論とは言えない卒論をなんとかギリギリで書き上げて、何とか卒業を決めていました。
しかし、中には例外も居るもので、期限が迫っても全く卒論に手をつけない人も居ました。
卒論を書くどころか、研究すらしていないので書く内容がない。
だからといって研究をするでもなく大学にいるだけ。
そう、彼は研究をする訳でもないのになぜか大学にはいるのだ。
そんな彼もやっぱり2年連続の留年がマズイと思ったのか遂に卒論に取り掛かった。
そう、彼には時間がなかったのだ。
そうだ、その日は卒論の締切日なのだ。
この話は卒論締め切り日の研究室のメンバー全員の長い1日を描いた、心温まるストーリーである。
その日彼は締切日にも関わらず、研究の結果はまだ出て居なかった。
彼は困った。
研究の結果が出ていなければ卒論を書くにも書けない。
それを見かねた先輩、同輩は彼の卒業の為に卒論を手伝ってやることにした。
先輩らが必死でプログラムを教えた。
何とかプログラムを作り上げるも、結果は当初より改悪。
変化無しならともかく、改悪など普通ならありえなかった。
同輩らはアプリの使い方を教えた。
彼は分からないと言って使おうとしなかった。
しかし、提出期限は目の前に迫っていた。
その時先輩が言った
「そうだ、結果を捏造しよう」
誰もが反対した。
しかし、それしか方法は無かった。
論文は別に公の場に提出する訳でもない、犯罪ではないはずだ。
もう、誰もが正しい判断能力を失っていた・・・
偽の結果はすぐに出来た。
たった1つだ。
精度を比較するのに結果が1つだけなど普通ではありえなかった。
ただ彼らには時間が無かった。
とりあえず卒論は完成した。
そのとき彼が口走った。
「証明写真が無い」
みんな凍りついた。
時計は提出期限の10分前を指していた。
証明写真を撮りにいく時間は無い。
その時誰かが言った。
「コピーで何とかなるんじゃないか」
誰もが耳を疑った。
その場で携帯で彼の写真を撮り、カラー印刷機で写真を出してみた。
明らかに光沢が足りなかった。
試しに上からテープを貼り付け、光沢を出してみた。
明らかに解像度が足りなかった。
しかし迷ってる時間は無い。
提出期限はもう2分前に迫っていた。
その時再び彼が思いもしなかった事を口走った。
「先生の印鑑が無い」
なんと卒論は教授の目を通さないと提出できないものだった。
ダメ元で先生の部屋に駆け込んだ。
先生は目を丸くした。
当然だった。
提出期限は後数分後だ。
先生も判断をする余裕が無く、慌てて判を押した。
こうして彼はギリギリのところで卒業することが出来た。
研究室のメンバーは全員、なんとも言えない達成感を味わっていた。
同輩の閃き、先輩の熱意、教授の恩赦。
1つでも欠けていたら彼の卒業はありえなかった。
彼は今立派に社会人となり、汗水垂らして仕事に取り組んでいる。
仕事の納期が迫った時は彼はきっとこの日の事を思い出しているに違いない。