1ヶ月ぶりの書き込み
また間が空いちゃいましたね。
どうも僕です。
最近はめっきり卒論に終われる毎日が続いて、いい加減バテてきました。
今日は遂に自宅PCにCygwinをインストールして、家でも研究が出来る環境を整えてしまいました。
まぁ、それほど切羽詰ってるってことです。
この1ヶ月は自分を含めた自分の「家族」の将来を考えた1ヶ月でした。
というのも去年末の12月17日に父親が逝去しました。
僕が夏休みに帰郷した後の9月に癌が発覚し、12月であの世に逝ったわけですから、その間わずか3ヶ月という本当にあっという間の死でした。
あっという間過ぎて、本当に死が訪れた時には本当に父親が死んだのか、実感が全く湧かないほどでした。
病気が発覚して11月に見舞いに帰った時は、手術を終え病院をちょうど退院したところでした。
その時は病気とは思えないほど元気で、僕が東京に戻る時には高速バスの乗り場まで車で送ってくれました。
バス乗り場の前で車を泊め、バス乗り場の階段を上る前で
「じゃあ、お父さんもしっかり病気を治さないかんよ」
「おぅ、ありがとう。じゃあお前も元気でな」
と話したのが僕と父親の最後の会話でした。
その時既に、父親が余命数ヶ月と知っていたにも関わらず、その時には本当に父の死が訪れるなど信じられませんでした。
12月に入って、再び父は病院に入院し、中間発表が終わった直後の17日早朝に母から「お父さんが危篤」とのメールを受け、急いで実家に帰りましたが、既に父の意識は朦朧としていて会話が出来る状態ではありませんでした。
癌が肺に転移し、肺に水が溜まっているため血中酸素濃度が徐々に下がっていく為、苦しいのか、父は何度か苦しんでもがいていました。
それが僕には父親がまだ生きたいという無言の言葉の様に見え、そんな父を見るのが可哀想で涙を堪えられませんでした。
しばらくは苦しんでいた父も、安定剤で徐々に静かになっていき、完全に息を吸って吐くだけの状態が何時間も続きました。
それでも血中酸素濃度はどんどん下がっていき、夜の11時40分にセンサーの心拍数と酸素濃度が0になったのを最後に息を引き取りました。
とても静かな最期でした。
それからは長男として、通夜、葬式と悲しむ暇もない位忙しい日々が続きました。
でも本当に辛かったのは、悲しみを堪えなければいけないことでした。
妹や弟、そして残された母をこれ以上悲しませてはいけない。親戚にも長男として気丈な姿勢を見せなければいけないという思いから、通夜や葬式でもほとんど涙を流す事をしませんでした。
実際、実感が湧かなくてという事もありましたが、父親との思い出を振り返るとやっぱり泣きそうになるので、それもしませんでした。
しかし、東京に帰る前の日に風呂に入ってふと落ち着いた瞬間に今まで溜め込んできた分の涙が一気に流れました。
こっちに帰ってきてからも、徐々に父の死に実感が湧くようになり
「あぁもう父親はこの世に居ないんだ」と考え、涙ぐんでしまうと言う事もしばしばあります。
今日も、実家に残された母の事を思い胸が締め付けられる思いがしました。
僕がこの1ヶ月の経験で感じた事は、ありきたりながら家族の大切さを感じました。
東京に来て早4年。
両親、兄弟とも離れて生活するようになり、その家族の大切さを僕は少し忘れかけていたんじゃないかと思います。
いや、むしろ今回の事で初めて家族の大切さを知った様に思います。
やっぱり自分の事を一番思ってくれているのは家族なわけです。
遠くに居ても、一番近い存在。
これからはもっと家族の事を大切にしたいなと。
父がそれを教えてくれたかなと、そう思います。
母からも了解を取り、院にもこのまま行ける事になりました。
自分で院に行く明確な目的を持って、2年後きちんと就職をして、母親を安心させられる様にしたいと思います。
その為にちゃんと卒論書いて、卒業しなきゃ。。。